実習生だった時の話
こんばんは、sumaです。
ふとつぶやきをみていて、実習生の過酷な状況について改めて考えさせられました。
数年前に、実習生の自殺が起きたことに関する裁判について、ニュース記事を見かけましたが、
裁判を起こしたのは、自殺した学生の遺族でした。
遺族は、実習を指導していた病院と実習に関する対応をしていた学校の両者の責任を問いつめました。
『あくまでこの事例では』という域を出ませんが、
責任を問われたのは学校側だけだったそうです。
病院の指導は適切だった、と。
しかし、我々は指導をする側としてだけではなく、実習指導を受けた身として、「普通ではない」実習の存在を知っています。
どのような実習指導が適切と言えるのか、答えはないのかもしれません。
さて、今回のお話は、僕が実習生だった時の話。
実習を考える時、今は指導者としての立場ですが、以前には実習生だった経験もあるのです。
当たり前ですが。
僕が学生だった頃、三年生と四年生のときにそれぞれ実習がありましたが、
僕は三年生の1つ目の実習で落ちています。
デイサービスで、実習生は同時期に僕を含めて3人いました。
なぜ落ちたか?
1、意思疎通が下手くそ
2、わかったつもりで何もわかってなかった
3、遅刻した
4、カンファ中にうたた寝
いやー最悪ですよ。
今思えばね。
でも、実習生には、実習生なりの言い訳があったんです。
例えば、レポートに忙しく眠れておらず、身体・精神的に疲労していた、とか。
わかっているつもりになったのは、わかったフリをしないと呆れられて、教えてくれなくなると思ったから。
意思疎通は自分ではできてるつもりだったとか。(必要な分はやっていたと)
つまり実習生は、自分が実習がうまくいかない構造を組み立てていると考えられます。
んで、この構造から逃れるために、
バイザーの顔色伺ったり、
わかったフリして頑張ったり、
自分を正当化したり、
でもまだ、逃げる選択肢がある人はいいですが、
逃げられず、自分を責め、
自殺をしてしまうことがあるんです。
でも、気づいて欲しいんです。
この構造は、亡霊なんですよ。
考えれば考えるほど、大きく強くなる亡霊です。
亡霊を消すためには、あなたの役割をもう一度考え直して見ましょう。
役割獲得の過程は、以下のモデルで説明されます。
そして、実習生とバイザーの間では、この期待にギャップが生じ、葛藤どころではなく立派な信念対立が生じます。
この服従関係は、役割獲得モデルで構築され、さらに学生の内的期待は弱化し、バイザーからの外的期待は強化されます。
なので、実習をうまくやるためには、この構造をどーにかしないと。
でもバイザーに何が聞いたり、文句言うなんてムリってことが多々あるので、
自分の構えをどう変えるか、ってことを考えたいと思います。
それには、内省(自問)していくことが重要です。
例えば、
・自分の学生としての役割は何か
・バイザーから期待される役割は何か
・患者から期待される役割は何か
・学校から期待される役割は何か
実習生の大変なところは、外的期待が多様であるために、優先順位がとりにくいところです。
これを考えるだけで疲弊します。
そしてこれを間違えると、悪循環のスパイラルに入ってしまいます。
実習生でよく聞くのは、学校から期待される役割を1番に持ってくることです。
学校から期待される役割、というのは実習の合格要件である、レポートです。
つまり、実習生はレポートを作って、学校に提出して合格をもらうこと。これを最も優先しちゃうことが多いです。
構造的には、当然の結果でもありますが、これをしてしまうと歯車は一気に狂います。
次に多いのは、バイザーから期待される役割を優先することです。
これはただ単にバイザーの顔色を伺ってばかりいて、バイザーの言葉の端々を受け取ってはきちんと理解できずに早とちりして空回りする、という悪循環に陥ります。
これは怒られたくない、ことからくる逃避行動であり、周囲からは積極性に欠けたように映りやすくなります。
じゃあ、どーしたらいいのか?
患者からの期待に最大限答えましょう。
ここに全力を尽くすことが、もっとも賢明な手段です。
患者に対して不利益を与えないよう、精一杯勉強し、実践していく。
その意志は、バイザーとして否定できるものではありません。
バイザーとの関係性においても、レポート第一より、バイザー絶対主義の服従関係より、患者中心の方が良好になることが多いです。
なので、バイザーとの考えの違いを感じたら、
患者から期待される役割に、ちゃんと答えられているか、自問しましょう。
それを助けてくれるのが、学校であり、バイザーであるはずです。
長文失礼。では。
suma's occupation
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