コギト・エルゴ・スム
こんばんは、sumaです。
なんや意味わからんこと言ってると思った皆さん!
そのとおりです。
あ、意味は最後に回収しますので悪しからず。
さて、僕の最近の関心ごとは、哲学。
何でかと言えば、温故知新の最たるものだからです。
最先端の科学は、日々変わっていきます。
でも、科学において大事なことは、今までの議論を踏まえていることです。
誰もやってないから、自分が調べた中ではなかった、と関心だけで捻じ曲げた根拠は、科学じゃありません。
今までになされた議論を踏まえた上に、新たな知見を積み上げることが科学であると考えます。
そんな科学大好きな人間なんですけれども、なぜ哲学を読むかと言いますと、
その議論の出発点を探るためです。
今、様々な理論や宗教、論理的思考の手法が多くありますが、共通している部分がいくつもあることに気づきませんか?
僕が先日思いついた考えも、実は何百年も前の人々が既に議論していて、書に出ている。
そんなことを今更実感したんです。
つまり、「考える」ということにおいて、哲学の存在をなしに語るのは、昨日の思いつきと変わらない。
その根拠を示すには統計じゃなくて、誰がこの考えを初めに世に示したのか、を知ることが重要だと思いました。
例えば、民主主義や資本主義、など国家の在り方は、今ではネットで調べれば出てきますけど、
そもそも、その国家の在り方なんて、誰が、どのように考えたのか?
なぜ、国家というシステムを作ることを考えたのか?
いや、知らん。でも良いんですが笑
僕が学びたいのは、国家の作り方じゃなくて、
国家を作らねばならないと考えるに至った問題の立て方とその解決策を提示するまでの理路の示し方に興味があるんです。
そして、哲学者たちはそれらを人生をかけてやってきた。
そこに学びを得る理由があります。
でも、さすがに原書を読むほど心は強くないので、入門書あたりから、まずは触る程度ですけどね。
何よりも、論じ方と説明における比喩の用い方はめっちゃ参考になります。
考えたの基礎を学びたいときは、哲学に触れてみましょう。
「コギト・エルゴ・スム」
我思う、故に我あり
デカルトの一節です。気になったら読んでみてください。
では。
suma's occupation
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