作業療法は、今どこを歩いているか
こんばんは、sumaです。
久しぶりに開いたなあ、と思ってみてみると、1カ月ぶりでした。
自由気ままなブログですので、もし待たれている方がいたら、申し訳ありません。(いないと思うけど笑)
さて、今日は作業療法について振り返ってみようと思います。
この世の中、結構なスピードで情報が移り変わっていきます。
特に医学では、5年前の常識は今では非常識になってしまうほどです。
さて、作業療法はどうでしょうか。
アメリカのOT協会設立から100年弱、日本OT協会設立から50年が経ちました。
僕らはどこに立っているのでしょう?
僕らはどこに向かって歩いているのでしょう?
そんな話です。
まず、現代の作業療法は、医学界が牽引するEBMの時代に習い、EBOT(根拠に基づく作業療法)の実現に努めていると考えられます。
それは医療保険において作業療法が存在していくために、必要なことです。
しかし、作業の定義と解釈は、多職種においても、同職種内でも曖昧であり、多様な捉え方がされてきました。
そのため、作業療法が扱う範囲は広く、多様で、曖昧でした。
よく言えば、多様で柔軟性を持つと言えるでしょう。
しかし、多職種からは曖昧で何をしているか分からないものを、ありのまま信用することは出来ません。
そこで、科学的根拠を示すことに躍起になるのです。
われわれ作業療法士は、様々な場面で科学的根拠を示してきました。
研究、事例、活動報告などを通して。
まだまだ十分とは言えませんが、確実に前進していると思います。
しかし、1つの弊害があります。
それは実証的研究至上主義とも言える、思考の偏りです。
言えば、データに惑わされ過ぎてしまい、本質を見失っているものと推察されます。
つまり、作業は健康に良いものだ、趣味や役割は認知症予防に有効だと示しながら、
で、作業療法士は何をするの?
という問いに答えられないOTが一定数いるのです。
すると、どうなるか?
なんか色々研究してるみたいだけど、結局OTは何してるかわからないね。
作業って連呼してるけど、結局は何でもいいんでしょ。
そんな声を聞くことになります。
つまり、作業療法士は、作業療法の根幹をもう一度見直さないといけなくなっています。
もう一度繰り返します。
哲学は、諸科学の基礎づけを目指す学問とされています。
今、作業療法士は科学の証明に向かって突き進んでいます。
しかし、見落としてはなりません。
その基礎が揺らいでいる内は、せっかくの科学の証明が無駄になってしまいます。
今現在、未来のOTを見据えて必要なのは、
作業療法の哲学を理解し、基盤をしっかりと固めることです。
その上に、科学があるのですから。
suma's occupation
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